こんにちは。ナミです。
2か月ぶりの投稿になってしまいました…。
しばらくスローペースでの投稿になるかもしれませんが、時々覗いていただけると嬉しいです。
今日の投稿は、久しぶりのひとりごとです。
4月になり、新生活を迎えた人も多いのではないでしょうか。
環境の変化が起こると、気付かないうちに心が揺らいでしまうもの。
そんな人に向けて(そうでない人にも)、ちょっとしたエールをこめて書きたいと思います。
まだまだ20歳そこらの小娘のひとりごとですが、温かい目で見ていただけると嬉しいです。笑
見ている世界は人それぞれ。
最近思うのは、人それぞれ見ている世界が全く違うということ。
当たり前のようだけど、これがすごく大事なんじゃないかと思っています。
よくある例を挙げるなら、水がコップの半分まで入っているのを見てどう考えるか。
「まだ半分ある」なのか、「半分しかない」と捉えるのか。
同じ状況を見ていても、人によって捉え方が変わるわけです。
また、どこに視点を置くかということもものの見方を変える要素の一つです。
「渋谷の街はどんな街か」という質問をしたら、きっと人それぞれ違う答えをすると思います。
スクランブル交差点をイメージする人は人の多い街と答えるだろうし、ファッションビルを思い浮かべる人はオシャレな街と答えるかもしれないし、あまりきれいな街ではないと答える人もいるかもしれない。
人それぞれ注目するポイントが違うなら、同じ景色もどう映るかは異なるはずです。
つまり、事実はひとつでも、認識の仕方は人の数だけあるということ。
実は、事実よりも認識の仕方のほうがわたしたちを支配している、と言っても過言ではないと思います。
見ている世界を美しく変えたい。
もし事実より認識のほうが重要だとしたら、ここに人生を輝かせるヒントがある気がします。
単なる失敗と捉えるか、成長するチャンスと捉えるか。
過去と未来のどちらにフォーカスを当てるか。
どちらを選ぶかでマインドが変わってくるのは、みなさんにもわかってもらえると思います。
こうやって自分の認識を思い通りに変えられたら、見ている景色を大きく変えることができると思いませんか?
これは医学でも取り入れられている考え方で、いわゆる「認知療法」というものです。
興味のある人は、ぜひ調べてみてください。
どうしてこんなに認識を変えることを強調したいかというと、自分以外の物事をすべて思い通りに変えることはできないからです。
他人にしろ、自分にとって不都合な出来事にしろ、それ自体を変えたり排除したりすることには限界があります。
自分にとって何のストレスもない世界を作り上げることは不可能。
でも、そんな世界でこれからも生きていかなきゃいけないわけです。
だったら、せめて自分の頭の中の世界だけでも都合よく解釈して、楽に過ごせるようにしたいとわたしは思います。
すぐにポジティブな認識に変えられなかったとしても、そういう解釈もあるということがわかっているだけでも心境が変わってくる気がします。
(わたし自身考え方が凝り固まりがちな人で、認識のクセによるストレスに悩まされてきたタイプなのですが、この視点を得たことで少し楽になれた気がします。)
だらだらとお話しましたが、何が言いたいかというと「上手く生きていくためのおまじないは一つくらい持っておくべし!」ということです。
今回のわたしの話を聞いて「そんなのまやかしだ!」と思う人もいるかもしれないけど、それでいいんです。
認識の転換によって、わたしは今美しく世界を見ることができているので。
その手段は、推しを推すでも恋をするでもなんだってよくて、本人が満足しているならそれでいいのです。
もし今見ている世界が淀んでいる人も、現実は変えられないかもしれないけど、認識だけなら変えられるかも…?
認識の転換じゃなくても、見ている景色を変える何かはきっとどこかにあるはず!
だから、今見ている世界が全てだと思わないで欲しいのです。
きっとあなたが見ている世界も、何かによって少し歪められた頭の中の世界だからです。
今日のわたしのひとりごとが、だれかのちょっとしたヒントになったら嬉しいです◎
本日も最後までお読みいただきありがとうございました!
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